はじめに
竹田ブラシ、なでしこ
副賞について
会社は?製法、職人は?
この表現に注意!
現在と今までの推移
良い方向へ・・
改善例などの報告
誤認の多い具体例
現状と今までの推移
終わりに
一緒に考えて行きましょう

製造業者、消費者、ともに成長していく・・・この考えを中心に据えて、


私たち製造業者、そして、私たち消費者に、 これから、何が必要なのか、一緒に考えてみませんか?



熊野町の良心的な会社・作り手にとっては、 妙な販売業者がはびこる現状は、かなり迷惑な状況です。



まともな熊野化粧筆のメーカーは、

堂々と副賞製造メーカーと違う旨を伝え、自社の特徴を説明されております。


※残念な事に悪質な業者は、

「職人が同じ」(→ウソ)とか、「製法が同じ」(→ウソ)とか、「同じ原料」(→意味不明)、「同じ熊野筆」(意味がわかりにくい) 等

 とにかく「誤認させよう」、「優良誤認的表現により、自分を大きく見せよう」という意図が見え透いています。





皆さんに知って欲しいのは、実は、全国どこの産地でも同じような問題がある事です。


この全国的に注目された「なでしこ国民栄誉賞 記念品」に

その縮図が分かり易く現れているのかもしれません。




逆に言えば、その悪環境の中で、逆風にあおられながらも、ぎりぎりのところでふんばりながら、

力強く根を張って頑張って、

果物の味で例えるならば、「濃縮で綺麗な味わい」を

育んでいる製造業者もまだまだ沢山いらっしゃると思います。





だからこそ  私達は、このチャンスを生かしたい。 




モノ作り、モノを識る、国の基盤とも言える

「製品の吟味・咀嚼」 そして、 「自分で調べる」 という文化 を

つまり、「モノをわかるという事」を
日本にもっと根付かせる為に。



是非、私たち製造業者、そして、私たち消費者に、

これから、何が必要なのか、一緒に考えて、行動してみませんか?



■追記


ここ数十年の世界的な動向は、大きく見ると、やはり、製造業軽視に流れております。

経済効率重視によるモノ作りの一様化・量産化によって、

技術伝承、モノの使い方の伝承などの重要な要素が、どんどん失われているように 私には見受けられます。
(残念ながら業界としての熊野筆の現状も例外ではありません)



長く愛用でき、試行錯誤しながらでも技術を育てるような、
何度も修理や工夫を繰り返しながらでも使い続けられるような、道具に出会うのが非常に困難になっています。




職人が手掛ける道理にかなった道具は、実は不器用な人でも使い易い事が多いのです。
道具としての懐も深く、使いながら無心に楽しめるので、モノの道理も発見し易いです。

一方、量産品は、一見簡単なようでいて、習熟の難易度が高いものが多いのです。
教材として見かけるケースも多いのですが、よほど器用でなければ、
「何となく使える」程度の「習熟の入り口」付近で立ち止まり、モノの道理になかなか向き合いにくかったりもします。

モノの道理を知る機会が減っていく結果、価格重視の考え方に押され、
少し値が張る良質な道具の作り手は徐々に減り続け、

そのかわりに増え続ける量産品は、
本来、重点的に手を掛けるべき本質的な部分の手間をどんどん削っているが為に、
半ば使い捨て状態で、使う際の工夫の余地がますます少なくなってきているように思えます。

そして、良質な道具に成り代わり、「こだわりの職人技の手作り」などと表現された量産品すら出回る有様。

巨大な宣伝力を駆使し、アピールばかりが、より曖昧に、より過大になり(時には詐欺的に)、
正確に情報を流すべき個性(定量的な数値)や製法(手作り等)ですら「過大な演出」の場合もあります。

そして、その「過大な演出」が、メディア媒体を通じて、いつのまにか「事実」として定着していく。

ますますモノが分かりにくくなる、まさに悪循環です。

今回の「なでしこ」の一件にも似たような雰囲気を感じませんか?

是非、買い物で手を伸ばす際に、頭の端くらいで構わないので、少しづつ気に掛けていただけたら幸いです。