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製造業者、消費者、ともに成長していく・・・この考えを中心に据えて、 ■追記 ここ数十年の世界的な動向は、大きく見ると、やはり、製造業軽視に流れております。 経済効率重視によるモノ作りの一様化・量産化によって、 技術伝承、モノの使い方の伝承などの重要な要素が、どんどん失われているように 私には見受けられます。 (残念ながら業界としての熊野筆の現状も例外ではありません) 長く愛用でき、試行錯誤しながらでも技術を育てるような、 何度も修理や工夫を繰り返しながらでも使い続けられるような、道具に出会うのが非常に困難になっています。 職人が手掛ける道理にかなった道具は、実は不器用な人でも使い易い事が多いのです。 道具としての懐も深く、使いながら無心に楽しめるので、モノの道理も発見し易いです。 一方、量産品は、一見簡単なようでいて、習熟の難易度が高いものが多いのです。 教材として見かけるケースも多いのですが、よほど器用でなければ、 「何となく使える」程度の「習熟の入り口」付近で立ち止まり、モノの道理になかなか向き合いにくかったりもします。 モノの道理を知る機会が減っていく結果、価格重視の考え方に押され、 少し値が張る良質な道具の作り手は徐々に減り続け、 そのかわりに増え続ける量産品は、 本来、重点的に手を掛けるべき本質的な部分の手間をどんどん削っているが為に、 半ば使い捨て状態で、使う際の工夫の余地がますます少なくなってきているように思えます。 そして、良質な道具に成り代わり、「こだわりの職人技の手作り」などと表現された量産品すら出回る有様。 巨大な宣伝力を駆使し、アピールばかりが、より曖昧に、より過大になり(時には詐欺的に)、 正確に情報を流すべき個性(定量的な数値)や製法(手作り等)ですら「過大な演出」の場合もあります。 そして、その「過大な演出」が、メディア媒体を通じて、いつのまにか「事実」として定着していく。 ますますモノが分かりにくくなる、まさに悪循環です。 今回の「なでしこ」の一件にも似たような雰囲気を感じませんか? 是非、買い物で手を伸ばす際に、頭の端くらいで構わないので、少しづつ気に掛けていただけたら幸いです。 |