熊野化粧筆の会社の中では、 竹田ブラシは、おそらく、一番小さな会社です。
創業は昭和22年1月
そのときから化粧筆だけを 製造しております。 ※ おそらく製品専門メーカーとしては一番古い
その歴史からの観察として・・・・
熊野化粧筆の技術については、
特に、 決められた生産方式は・・・ 「ない」と思います。
同じ熊野内でも、 各社、作り方、考え方が違うでしょう。
(当然、「伝統的工芸品」指定の製品ではありません → 弊社を含む化粧筆は全般的に同様)
書筆等の伝統技法と全く関係ないかと問われれば、 語弊があるかもしれませんが・・・・弊社の場合は、少しくらいしかありません。
書(水)と、現代の化粧(油・粉)では 完全に対象物が異なりますよね?
※和化粧は基本的に水化粧です
また、西洋化粧が日本に入ってきてからは、それほど歴史が深くありません。
それが理由なのですが、 弊社の場合は、
熊野内でもかなり早くから西洋化粧(及び、化粧ブラシ)の本場である
ヨーロッパから 技術と知識を取り入れておりますから、
熊野筆の書筆の従来の技術からはかなり離れていると思います。
(熊野内の同業他社の中には竹田ブラシは熊野筆ではないと言う人もいたぐらいです)
では、熊野筆の技術で化粧にとって美味しい部分って何?
という疑問は当然の事。
以下、弊社の考えを記載いたします。
一つ目は「混毛」という考え方。
例えば、毛先の良い「灰リス100%」(毛先が非常に細く長く根元が極端に太い)で
毛先の厚い「丸っこい形のブラシ」
や
もしくは、「均一な弾力性のあるブラシ」(クセの少ない)
は作る事はできません。
そこで「混毛」です。 これはこれで難しい技術です。
例えば、少し「厚み」のある毛先を持つ「毛」を混ぜる事で 「ブラシの毛先に厚み」が作れます 。
また、化繊維等の 全体的に「弾力性」のある「毛」を混ぜると 「均一に近い弾力性のあるブラシ」も作れます。
「形状」とか「面を当てる」などを重視するメイクの方にはこちらが、断然、向くようです。
ぴっちりとした形状や面を求める方の場合、一定以上の繊細な「毛先」すら邪魔であるケースもあるようで、
毛先のカットしているかどうかの判別もつきにくいくらい「毛先が少ない」熊野筆を求める方もいらっしゃいます。
(パフやスポンジ、チップなどでのメイクが得意な方が好まれる傾向があるようです)
ただし、実は、この分野には弊社はそれほど重点を置いておりません。
様々な毛が混ざる事による 、毛先のムラや密集度の低下、 それがそのまま粉の伸びを失わせ、粉が流れ易くなったり、
粉ムラを生むケースもあります。また、天然の毛がそれぞれ持つ持ち味がある意味消されます。
弊社は、 「使用感」(まとまりの良さ)や「仕上がりの質感」}(キメ細かさ)
を重視する為(弊社にはそちらを重視するお客様も多いので)、
最低限の部分でしか「混毛」は利用しておりません。
※形の事ばかり言われると苦手なのは、これが理由です。 逆に言えば、「使い方」そのものが全く異なります。
※一方、合成繊維は、歴史が浅く、長期的な使用による肌への悪影響も懸念されており、私自身が過剰な刺激を感じる為、
肌に直接当てるブラシへの使用については、 弊社はまだ踏み切れない状況です。
そして、もう一つの技術。これは熊野筆だけに言えることではありません。
実は、弊社では、最も重要な中心部分を 熊野筆を含めた「日本の技術」から参考にしております。
日本の技術(熊野に限らず書筆全般)には 「命毛」という感性があります。
また、毛の先の先にある 描く際に本当に重要な部分を見て品質を評価する感性もあります。
(光に透かすと消えるくらいの繊細な産毛に近いレベルのものです)
そして、伝統技術は、細かい工夫の繰り返しによる結果としての「理」の宝庫です。
この繊細な感性は弊社も最も重視しており、 製造の根本部分に置いております。
これらはすべて、消費者と製造業者ともに共有していくべきものでもありますので、
是非、お互いに「目を肥やす」事も重要であり、それをしつづけてきたのが日本の製造の文化の素晴らしさでもあります。
結果、書筆の業者や、書家の方々から
「化粧ブラシにはないものと思っていたが、お宅のブラシには毛先がある」 「化粧ブラシで初めて命毛の先があるものを見れました」
等、お褒めの言葉をいただく事も最近は多くなってきましたが、
実は、その部分(繊細さ)とヨーロッパの技術(描き易さ)の 配合の按配が非常に難しく、
まだまだ、わからない事、至らぬ事も多いのも事実です。
途上であり、 手間が掛かかりますが、 少量生産メーカーの利を生かす意味でも、追求する価値は充分あると思います。
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